ご挨拶

ご挨拶

山本浩之

  

岐阜県関市生れ
スギナ生化学研究所所長をしております。

がなぜ今、所長をしているのかということと、
私の人生変えた二人恩師との出会い
をさせて頂きます。

[立岩先生との出会い]

 私は、19979イギリス留学「ガン」になりました。
 そのしい 闘病生活亡き理学博士立岩清美先生
いでき、「ガン」を病気などは、病院以外でもよくなる
スギナ健康法』のことを教えて頂きました。
 はじめでいたは、不安でいっぱいでしたが、
病院生活があまりにもかったので、
日本り、岡山立岩先生に『スギナ健康法』をび、
立岩先生とその家族実践しました。
 場合1日2日は、あまり変化はなかったのですが、
3日目からカラダがくなっていくのをめ、
10日後には、「ガン」になる(留学する前)の、カラダより
元気になっていると感じました。

立岩先生(立岩先生の

 それ以来15年以上経ちますが、カラダは健康で、また元気なので、
ガンに関わ検査では病院には行っていません。
 行く必要心配がないからです。

 その後、私は立岩先生と仕事したり、でもアルバイトをしたり、
また近所小学生とキャッチボールをして遊んだりして生活をしていました。

[絶望診断]

 それから約1年後のある日のこと、おもいっきりボールを投げた後、
右下半身にものすごい激痛がはしました。
 その日は、すぐに帰り休みました。
 痛みは、徐々に落ち着いていたのですが、スギナ毎日飲んでも
治りません。
 私は、右下半身をかばうように歩いていました。
 そんな状態続けていくうちに私の右膝は、段々定位置から
下がっていました。
 1年後、それを毎日見ていた立岩先生は、
「痛いなら外科診てもらいなさい」と言ってきました。
 そして私は外科病院で診てもらうことにしました。
 病院で、受診したところ医師から
「今まで大きな病気にかかったことはありますか?」
と、聞かれました。
 ガンになったことがありますという答えは、あの辛い闘病時のことを
思い出すので、言うことができませんでした。
 その後、医師から説明がありました。
大腿骨一部壊死しています。」
「このままですと、壊死したところから全体がりますので、
 最悪、足をらなければなりません。今なら手術簡単です。」
 それを聞いた私は、考え時間をもらい病院を出ました。
 帰り道は、ボー然としていました。

[霜田師匠との出会い]

 家に帰り、立岩先生に病院で言われたことを話しました。
 先生も"壊死″という診断はおかしいということで、
整体師の霜田慶尚先生を紹介して頂きました。
 霜田先生に会い、全てを話しますと、少し笑いながら
「足が壊死することはない、診てあげる」と、
 整体を受けることになりました。
 初めて霜田師匠から受けた整体には、驚きました。
真っ直ぐ立って下さい」と言われるので立ちました。
みがありますね。横になって下さい。」と言われ、
 仰向けうつ伏せ椅子座ったりと、ピンポイントを親指一本で、
あっというに整体が終わりました。
 整体後、しばらくしたら、足の痛みは少しずつ消えていましたが、
約1年間まっすぐ歩いていなかったので、
 少し違和感がありましたが、普通に歩けるようになりました。
 私は、霜田先生に、足はどうなっていたのか尋ねました。
 来た時の状態で判断したら、腰のズレが膝を痛くしただけのこと。
「でもどうして医者が、壊死なんて言うのか、
 いろんなヤブ医者もおるんやな」と、少し笑いながら
教え頂きました。
 それから椅子に座り、お話をさせて頂き御礼をし、家に戻りました。
 家に着くと、立岩先生は、普通に歩いている私を見て
「どうやって治った?」と、聞かれたので、
この日あった事を全て話しました。
 立岩先生は、私の話に驚いていました。

[先生の整体を学びたい]

 それから、私は、霜田先生の整体を学びたくなり、今から3年前、
本格的弟子入りし、
 ちょこちょこ整体を受けに行ったり、整体をかしてもらったりし、
今では、整体師となり、
‘いつか師匠にいつき、追いそう’と頑張っています。
 立岩先生は、私の姿を見て、「スギナ」と「整体」を一緒
やってみないかと誘われました。
 しかし、私はまだまだ学ぶことがかったので、
もう少し待って下さいと伝えました。
 それから数ヶ月後お客様に整体をすると“治った!治った!”と
喜んでくれるようになり、私も自信がついてきました。

[研究所の行方]

 私が整体に自信をつけていたある日の8時電話がかかり
でてみると、病院からでした。
 立岩先生が倒れられ意識不明心拍停止の状態とのことでした。
 私たちはいで病院にけつけましたが、自然死ということで
他界されていました。
 立岩先生が思われていた『スギナ健康法 + 整体』が
できなくなりました。

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 また、スギナ生化学研究所どうするのか家族でえましたが、
一方的に私がやれというれでした。
‘ 立岩先生と同じようにはやれないから無理’と言っていました。
 ただ、一方で、私のガン治療体験から、苦しんでいる人たちを助けたい、あの辛い思いをさせたくないという強い思いもありました。
 んだ結果、継ぐことをめました。
 始めたころはミスも多く、お客様をらせてしまうことも
多々ありました。不安の中で仕事をしていました。
 ある日、机に置いていた霜田師匠から頂いた本を読んでいると、
‘整体の視線から仕事をすればいいんじゃないか’と思いつき、
開き直ってやり始めたらだんだん仕事ができるようになりました。
 今にり、頑張っています。

スギナ生化学研究所

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