ご挨拶
山本浩之
岐阜県関市生れ
スギナ生化学研究所の所長をしております。
私がなぜ今、所長をしているのかということと、
私の人生を変えた二人の恩師との出会いを
お話をさせて頂きます。
[立岩先生との出会い]
私は、1997年9月イギリス留学時「ガン」になりました。
その苦しい 闘病生活の中、今は亡き理学博士立岩清美先生に
お会いでき、「ガン」を含む病気などは、病院以外でもよくなる
『スギナ健康法』のことを教えて頂きました。
はじめで話を聞いた時は、不安でいっぱいでしたが、
病院生活があまりにも辛かったので、
日本へ帰り、岡山の立岩先生に『スギナ健康法』を学び、
立岩先生とその家族と共に実践しました。
私の場合、1日か2日は、あまり変化はなかったのですが、
3日目からカラダが軽くなっていくのを感じ始め、
10日後には、「ガン」になる前(留学する前)の、カラダより
元気になっていると感じました。
立岩先生と私と妻(立岩先生の娘)
それ以来、15年以上経ちますが、カラダは健康で、また元気なので、
ガンに関わる検査等では病院には行っていません。
行く必要・心配がないからです。
その後、私は立岩先生と仕事したり、外でもアルバイトをしたり、
また近所の小学生とキャッチボールをして遊んだりして生活をしていました。
[絶望の診断]
それから約1年後のある日のこと、おもいっきりボールを投げた後、
右下半身にものすごい激痛がはしました。
その日は、すぐ家に帰り休みました。
痛みは、徐々に落ち着いていたのですが、スギナ茶を毎日飲んでも
治りません。
私は、右下半身をかばうように歩いていました。
そんな状態を続けていくうちに私の右膝は、段々と定位置から
下がっていました。
約1年後、それを毎日見ていた立岩先生は、
「痛いなら外科に診てもらいなさい」と言ってきました。
そして私は外科病院で診てもらうことにしました。
病院で、受診したところ医師から
「今まで大きな病気にかかったことはありますか?」
と、聞かれました。
ガンになったことがありますという答えは、あの辛い闘病時のことを
思い出すので、言うことができませんでした。
その後、医師から説明がありました。
「大腿骨の一部が壊死しています。」
「このままですと、壊死したところから足全体に広がりますので、
最悪、足を切らなければなりません。今なら手術は簡単です。」
それを聞いた私は、考える時間をもらい病院を出ました。
帰り道は、ボー然としていました。
[霜田師匠との出会い]
家に帰り、立岩先生に病院で言われたことを話しました。
先生も"壊死″という診断はおかしいということで、
整体師の霜田慶尚先生を紹介して頂きました。
霜田先生に会い、全てを話しますと、少し笑いながら
「足が壊死することはない、診てあげる」と、
整体を受けることになりました。
初めて霜田師匠から受けた整体には、驚きました。
「真っ直ぐ立って下さい」と言われるので立ちました。
「歪みがありますね。横になって下さい。」と言われ、
仰向け・うつ伏せ・椅子に座ったりと、ピンポイントを親指一本で、
あっという間に整体が終わりました。
整体後、しばらくしたら、足の痛みは少しずつ消えていましたが、
約1年間まっすぐ歩いていなかったので、
少し違和感がありましたが、普通に歩けるようになりました。
私は、霜田先生に、足はどうなっていたのか尋ねました。
来た時の状態で判断したら、腰のズレが膝を痛くしただけのこと。
「でもどうして医者が、壊死なんて言うのか、
いろんなヤブ医者もおるんやな」と、少し笑いながら
教え頂きました。
それから椅子に座り、お話をさせて頂き御礼をし、家に戻りました。
家に着くと、立岩先生は、普通に歩いている私を見て
「どうやって治った?」と、聞かれたので、
この日あった事を全て話しました。
立岩先生は、私の話に驚いていました。
[先生の整体を学びたい]
それから、私は、霜田先生の整体を学びたくなり、今から3年前、
本格的に弟子入りし、
ちょこちょこ整体を受けに行ったり、整体を覗かしてもらったりし、
今では、整体師となり、
‘いつか師匠に追いつき、追い越そう’と頑張っています。
立岩先生は、私の姿を見て、「スギナ」と「整体」を一緒に
やってみないかと誘われました。
しかし、私はまだまだ学ぶことが多かったので、
もう少し待って下さいと伝えました。
それから数ヶ月後、お客様に整体をすると“治った!治った!”と
喜んでくれるようになり、私も自信がついてきました。
[研究所の行方]
私が整体に自信をつけていたある日の夜8時頃、電話がかかり
でてみると、病院からでした。
立岩先生が倒れられ意識不明の心拍停止の状態とのことでした。
私たちは急いで病院に駆けつけましたが、自然死ということで
他界されていました。
立岩先生が強思われていた『スギナ健康法 + 整体』が
できなくなりました。
[心の底]
また、スギナ生化学研究所どうするのか家族で考えましたが、
一方的に私がやれという流れでした。
‘ 立岩先生と同じようにはやれないから無理’と言っていました。
ただ、一方で、私のガン治療体験から、苦しんでいる人たちを助けたい、あの辛い思いをさせたくないという強い思いもありました。
悩んだ結果、後を継ぐことを決めました。
始めたころはミスも多く、お客様を怒らせてしまうことも
多々ありました。不安の中で仕事をしていました。
ある日、机に置いていた霜田師匠から頂いた本を読んでいると、
‘整体の視線から仕事をすればいいんじゃないか’と思いつき、
開き直ってやり始めたらだんだん仕事ができるようになりました。
今に至り、頑張っています。
スギナ生化学研究所